とにかく直球勝負。熱い音が好きだ、というアナタは、80年代後半、世界中を席巻した第三次ストレート・エッジやNYハードコアのバンドがお薦め。YOUTH OF TODAYを中心に、GORILLA BISCUITS、BOLD、JUDGE,SIDE BY SIDEらがムーヴメントを盛り立て、TURNING POINT,WIDE AWAKE,UP FRONTらといった後続勢も出揃った。その動きは西海岸にも波及。もともと、BETTER YOUTH ORGANIZATIONがMINOR THREATを招聘したり、その後もUNIFORM CHOICE,UNITY,STALAG13,JUSTICE LEAGUEなんかが活動していた土地柄からか、本場コネティカット、ニューヨーク以上の盛り上がりを見せ、かねてから活動していたNO FOR AN ANSWERは,HALF OFFらはもとより、ex-JUSTICE LEAGUEのCHAIN OF STRENGTH,のちにヘビメタ・ラップ・バンドRAGE AGAINST THE MACHINEを結成する、ザック率いるINSIDE OUT、サンフランシスコでは異色のUNIT PRIDEなど、錚々たるバンドがシーンを盛り立てた。
盛り上がりをみせるストレート・エッジ・シーンとは対極に、スキン・ヘッズをルーツとする伝統的なニューヨーク・スタイルのバンドも負けてはいなかった。
完全ヘビメタ化、メンバー間の不和もあって失速していた、ライバルCRO-MAGSを尻目に、メンバーチェンジに伴う若返りで完全復活を果たしていたAGNOSTIC FRONTをはじめ(もっとも、この直後、シンガー、ロジャーのコカイン密売容疑による逮捕というミソがついてしまったが。)、そのAGNOSTIC FRONTの初期にドラムを叩いていた、レイビーズ率いるWARZONE,RAW DEALから改名したKILLING TIME,おりからのミクスチャー・ブームに乗ってメジャー・デビューを果たしたMURPHY'S LAW,の流れを汲む、ニューヨークでは異色のTOKEN ENTRY,そして今なお現役のSICK OF IT ALL,そのSICK OF IT ALLのメンバーが参加していたREST IN PEACES,ほかにもSHEER TERROR(現KILL YOUR IDOLS),BREAKDOWN,KRAKDOWNといった若手も現れて、今から思えばストレート・エッジのシーン以上に活気づいていたのではないか。
 ただ、これらのなかでは僅かKRAKDOWNのみが純正、純然たるハードコア・スラッシュを聴かせていたのみで、CRUMBSUCKERSやLUDICHRIST,人種差別バンドSOD(ハードコアではないが)らの流れを汲んで、大半のバンドがヘビメタ、スラッシュ・メタルに接近。折から問題になっていたシーンの暴力、そして商業化も含めて、現在「NYハードコア」と呼ばれている、ギャング系のデスメタル・バンドやシーンが抱える問題の萌芽はここにあったのかもしれない。
 90年代半ばすぎに、ヨーロッパ及びニュージャージーを震源地に、突如復活を遂げたストレート・エッジ/ユース・クルー系のバンドが、草の根レベルでのシーンを確立し、長年課題としていた暴力的側面を克服したのとは対極である。ここで立役者となったのは、オランダのMAINSTRIKE(ex-MANLIFTING-BANNER,現THE OATH),ニュージャージーのHALF MAST(現THEY LIVE),PLAGUED WITH RAGE(現THE CONTROL)ら。
彼らの活動が90年代後期からのGOOD CLEAN FUN,HANDS TIED,UNTIL TODAY,REINFORCE,IN MY EYES,EYE'S SHUT,PROUD YOUTH,CONVICTED TRUTH,DRIFTNET,HIGH SCORE,EYE BALL,SPIRIT84,REACHING FORWARD,OUTLASTらの登場を促し、ついにご本家、レイカポまでが、あとを追うように、ユース・クルー・バンド、BETTER THAN A THOUSANDを結成した。
 では、これら80年代中期から後期にかけての、第三次ストレート・エッジ・ムーヴメントや、スキン・ヘッド系ニューヨーク・シティ・ハードコア・バンドのルーツはどこにあるのか。こちらを参照してほしい。

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