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1985年、ファンジン仲間であった、Alex, Marc,Kokiの三人は、彼らがファンジンで扱っていたようなバンドをやろう、と決意。H.H.Hの結成である。しかしながら、彼らの住むBanyoles地域で、パンク・ロックに興味をもつものは皆無に等しく、必然的に彼らはベーシストぬきで活動を開始する。彼らはリハーサルもままならないうちから、曲作りをすすめ、漸く8ケ月後からリハーサルを開始し、Sin Identidad demoを完成させる。
Kokiは、バンド始動以前には、ドラム缶や洗剤の空き箱をドラム代わりに叩いて練習していたといい、Frites
Modernのバルセルナ公演のオープニング、そしてこのレコーディングと、彼がそれまでに本当のドラム・キットに触れたのは、その2回だけだったという。
一年後には、彼らは、1st 7"のレコーディングを完了。本国、スペインにはハードコアを取り扱うレーベルがひとつもなかったため、ドイツのDissonance
Recordsから"Intelectual Punks 7""を発表。ときを同じくして、同郷のGRBも、同じ理由で、イタリアのレーベルから7"を発表している。
このころより、HHHの方向性は、初期のスカンジナビアン・ハードコアの影響から逃れ、よりアメリカン・スラッシュ的な、ファストな方向に向かいつつあった。
そんな方向性の変化もあって、彼らはつづいての2nd 7"に、12曲を詰め込もうと画策。しかし、さすがにそれでは収録分数に収まらず、泣く泣く9曲入りの7"としてリリースし、同時のセッションにおける未発表曲5曲のうちから、ベルギーのNabate
Recsの反性差別コンピレーションLPに収録した。このころになると、アメリカにおける、クロス・オーヴァーの波が、ヨーロッパにも押し寄せ、彼らは、HHH版メタル・プロジェクト、OVERTHROWを結成する。ときを同じくして、ベルギーからはHEIBELやHATE
CREW,ドイツからはSKEEZIKS,ANTI-TOXINといったバンドが登場していたし、イタリアの大御所、NEGAZIONEもよりメタリックなアプローチを経て、メロディアスな方向性を模索しつつあったころである。
90年の春になると、彼らは、パート・チェンジとともに、"A Por Ellos...
LP"を発表。Kokiは、シンガーとドラムスを兼任。Alexはベースに専念することになる。これは、スペインのインディペンデント/DIYハードコア・レーベルの黎明期を飾る、記念すべき最初期の作品のひとつでもあり、マキシマム・ロックンロール史上でも、NEOSの怒りと、 の妥協の余地なきスピードを融合させたハイパー・スラッシュと激賞され、世界的な知名度も上がった。
91年の夏には、Vitu's DanceとのスプリットLPを発表。OVERTHROWの流れから、ややメタリックにはなっているが、これまた素晴らしい作品である。
93年に、HHHは、バルセロナのSxEバンド、24IDEASとともに、最後のショウを行う。現在では、Alexはコックとして、自らのレストランも経営している傍ら、バンド活動も行っているようだ。Kokiは中学校の先生、Marcは、ディストリビューターとして、シーンに関わっていたが、数年前に閉鎖してしまったそうである。
現在、後期の2枚のLPを時折り店頭在庫で見かけたりもするが、625 Productionからリリースされた全曲集CDが、もっとも入手し易いだろう。
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