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その歴史は198O年に遡る。STIMULATORSというパンク・バンドに参加していた、弱冠14歳のハーレイが、よりハードに、よりアグレッシヴな方向を目指して、パリス(ex-THE
MAD)という、アート・スクールに通う16歳の少年を誘い、結成を決意する。一時はヘビメタ・ラップのビースティ・ボーイズに参加する、アダム・ヤウチが参加したこともあったという。
しかしながら、碌な活動もままならず、84年に、エリック・カサノヴァに代えて、のローディを務めていた、ジョン"BLOODCLOTS"ジョセフが加入したころ、漸くバンドが軌道に乗り始める。
すさまじいライヴ・パフォーマンスでいちやく人気者になり、翌年デモ・テープをレコーディング。これが、AGE
OF QUARREL DEMO 10"(*1)として、ブートレグとして出回っていたが、近年(*3)として、オフィシャルにリリースされた。私見だが、デビュー・アルバム、AGE
OF QUARRELも遠く及ばぬほどの、荒々しい破竹のテンションを放つ、彼らの意図せざる最高傑作である(余談ではあるが、このように、ハードコアでは、未発表音源が、正式音源を遥かに凌臥することも珍しくない。)。 86年には,RELATIVITY傘下のPROFILEより,AGE OF QUARREL LP(*)でメジャーデビュー。MOTOR HEAD,EXPLOITEDらとのツアーをこなすも,年々ジョンとハーレイの関係が悪化し、ジョンが88年に脱退。ハーレイがヴォーカルを兼任して、バンドは継続されていくが・・・
以降、ハーレイのハイトーン・ヴォイスを前面に押出した、へヴィ・メタル路線に接近。というか、もはや、存在的、活動的にも、完全に"あちら側"に行ってしまっていた彼らである。音楽的方向転換がダメ出しとなり、その後の活動は、本ウェブでフォローする必要もない、ヘヴィ・メタル・バンドそのものといっていいだろう。
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