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DESCRIPTIONS
1982年に、マンハッタンにて、BETTER YOUTH ORGANIZATIONのニューヨーク支部であった、ヴィニー・スティグマ(Gu)を中心に結成される。初期には、キース・カブラ( ), ジョン・ワトソン(URBAN WASTE)らがシンガーを務め、WAZONEのレイビーズがドラムを叩いていたというから、ある意味スーパー・スター・バンドである。4代目シンガー、
ロジャー・ミレット(ex-PSYCHOS)が加入し活動が本格化する。とはいえ、ロジャー曰く、こんな"ひどいバンドは見たことがなかった"とのことだから、マトモなバンドとはいえたシロモノではなかったようだ。
83年に、名作"UNITED BLOOD" EP(*1)を自主制作で発表。シンプルでプリミティヴ、ロウでファスト、コミカルな味わいさえあるショートカット・ハードコアの連発で、後年のマッチョ系ハードコアの萌芽すらも見当たらない、荒々しい作品である。プロデュースは、ニューヨークのハードコアや、ストレート・エッジ系のバンドのレコーディングで知られる、ドン・フューリーの手によるもの。なお、本作は当然ながら廃盤であるが、編集盤というかたちで、(*2)として発表されている。
翌年、 地元のRatcage Recs.から、これまた名作"Victim In Pain,"LPを発表(*3)。このころより、マキシマム・ロックンロール・ファンジン/ジェロ・ビアフラ( )など、サンフランシスコのパンク・シーンとの対立が激化する。なるほど、サンフランシスコ・パンクスらによる、ナチのレッテルは、行き過ぎの面がなきにしもあらずではあるが、彼らの打ち出す、プロ・アメリカン・スキンヘッド思想の保守・反動性は、到底リベラルかつ進歩的な世界各国のパンクシーン、とりわけその前衛ともいえる、サンフランシスコで受け入れられるはずもなかった。
そうした反発への再反動というわけでもないだろうが、86年にヘビメタレコード会社、 Combat Coreと契約。"Cause for Alarm LPを発表。"福祉にタカる弱者"を批判した収録曲、"Public Assistance,"で、またもや物議をかもし、バッシングの火に油を注ぐ裏腹、バンド史上最高のセールスを挙げる。なお、スリーヴを手がけたのは、CRUMBSUCKERSやARMED
CITIZENSのスリーヴも手がけた、シーン・ターゲット。
その後、メンバー間のゴタゴタが続き、活動休止するものの、スティーヴ・マーチン(Lead
Gu),ウィル・シェプラー(Dr),アラン・ピーターズを迎え、87年に"Liberty and Justuce for..."LPを発表するも、アランが脱退。
クレイグ・サタリ(ex- 、NYC MAYHEM〜STRAIGHT AHEAD、REST IN PEACES)にとって代わられ、ライヴ・アルバム"Live
at CBGB's"を発表。とんとん拍子の復活劇を遂げていくかに思えたが、好事魔多し。
ロジャーがコカイン密売容疑で逮捕され、活動停止を余儀なくされる。
出所後、スティーヴ(現在音楽ライター)に代えて、マット・ヘンダーソンが加入。"社会不在"の間に書き溜めた、獄中日記ともいえる、"One
Voice" LPを発表するも、92年12月、数々の伝説を作り上げた、CBGB'sにてラスト・ライヴを行う。
その日のライヴ・レコーディング"LAST WARNING LP"を置き土産に解散となる。ヴィニー、マット、ウィルはMAD BALLへ。クレイグは へ。
しかし96年末に、ロブ・カブラ、ジミー・コレッティという、往年のパーソネルで突如復活。ファンの期待を集めたが、エピタフとの契約、スピード・ダウンした、ハードコアというよりパンク色の濃い音楽性は賛否両論であろう。
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